「雑談」で知るコミュニケーションの本質とは?

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■雑談という社交性スキルはなぜ必要なのか?

雑談 - 案外これを不得意とする人は実は割と多いのではないかと思います。

 

かく言う私もその1人です。

お客さんなどの仕事関係で、あまり顔なじみでない方(とくに役職の高い方)と、突然エレベータで2人きり・・・
ちょっと離れている面識のあまりない近所の方と、バス停でばったり・・・

 

突然何を話せばいいのか分からないですが、会話がない空気感も避けたいし、少々こまった気分になってしまいます。

 

誰とでも「用事」や「用件」があれば、問題なく会話もできるし意思疎通もできます。
しかし「用件」のないシーンで、どうコミュニケーションすればいいのかが分からない時ってありませんか?

 

そもそも「雑談」とか「コミュニケーション」って何なんだろうか。
できたに越したことはないけど、出来るべきなのか?出来なくともいいのか?
そもそも「雑談」って必要なものなのか?

 

明治大学文学部教授 斎藤 孝氏の「雑談力が上がる話し方」にはこう書かれています。

雑談から透けて見えるのは、その人の育ちの良さ。もちろん、いわゆる育ちが良いというのは、家柄がよいということではなく、人間関係に恵まれて明るく育っているという意味です。
(雑談力が上がる話し方, 斎藤孝,ダイヤモンド社)

 

そんなこと言われても、気付いたころには他人と比べて「社交性が低い」状態になっていたのだし、どうしましょう、という感じです。

 

同著には、

・雑談に意味や目的はない!急に始まり、急に終わって良い会話だ
・雑談は「あいさつ+α」で30秒でよい
・雑談にただ一つルールがあるとすれば、別れ際の後味の悪さは回避せよ
・相手にどう思われるか心配・恥ずかしいという思いは、突き詰めれば自意識過剰

などなど「雑談」を行う上での戦術的方法が書かれており、大変参考になりました。私も1人のビジネスパーソンとして、そして良識のある大人として、この部分は改善せねばと、意識して改善してきました。

 

ただ、そんな「雑談」はなぜ存在するのか?といった、世間一般の良き大人たちは考えも感じもしない疑問がずっと頭にあったことで、ふと、「雑談」つまり「意味のあまりないコミュニケーション」の本質がなんとなくわかってきた気がしてきたのです。

では、雑談から見るコミュニケーションの本質について探っていきましょう。

 

 

■コミュニケーションの起源

コミュニケーションの起源??を探っていくと、社会学の民族研究にその原点を見ることができると思います。
未開社会における自然発生的なコミュニケーションを探っていけば、人為的でない、むき出しのコミュニケーションがそこにはあるからです。

 

ニューギニア島の沖合で「クラ交換」という奇妙な風習がありました。
これは、「クラ」と呼ばれる宝物を、多民族間で島から島へと交換して回るという儀式です。ある民族からある民族へ、民族総出で宝物を届ける。これを、島々を一巡しながら何度も繰り返す。何年もかけて儀式は続き、その顛末は、元の宝物が自分のところに戻ってくるだけなのです。そしてそれをさらに繰り返し交換する。

 

こんな無意味なことをなぜしているのでしょうか。

 

また、ある民族は他の民族を招き、これでもかというほどのもてなしをします。エスカレートすると、自分たちの大切な宝物であるボートや家屋に火をつけて散財するというところまでいきつきます。こういった「破壊的な」もてなしを、複数の民族が繰り返し行うのです。

はっきり言って意味が全く理解できません。

 

しかし、この意味の無さがコミュニケーションの本質だというのです。

価値あるものだから交換されるのではない。
“交換されるから価値がある”のである!
人々の間に交換のシステムが出来上がっていて、あるものを交換のために皆欲しがるから、それが価値あるものとなる。
電流が流れると磁場が生まれるように、交換のシステムは必ず価値をはらむのである。
(はじめての構造主義, 橋爪大三郎, 講談社)

こうした交換を通じて、他の民族に「敵意が無いこと」を示したとされています。
交換されるものは「その当時に価値あるモノ」と思われているものが選択されるだけと言うのです。

 

■贈与と返礼

これは「贈与と返礼の往来」です。

贈り物をされたから返礼をする、それが様々なシーンで繰り返された結果、多様なコミュニケーションが生まれたのではないかと個人的には思います。

 

貨幣による財の交換に始まり、親戚間のお年玉のやり取り、お歳暮のやり取りにも適用できる考え方です。

 

「贈与と返礼の往来」がもっと簡略化されると、上司と部下の間で仕事を評価しほめること・しかること、隣人との会話(雑談)、にまで落とし込む事ができます。

 

「贈与と返礼の往来」が、そもそも敵意のないことを示す手段であり、それの最も簡略化され、浸透したものが「雑談」だとすれば、雑談がうまくできない人は、世間的に「受け入れがたい」「怪しい」「ちょっと変わった人」と思われてしまう理由も、社会学的に理解できます。

前述の書籍では、レヴィ・ストロースという社会学者の言を引用し、このようにコミュニケーションを解釈しています。

社会がまずあって、そのなかにコミュニケーションの仕組みができる、というのじゃない。
そうではなくて、そもそも社会とは、コミュニケーションの仕組みそのものだ、というのだ。
(はじめての構造主義, 橋爪大三郎, 講談社)

 

■やっとわかる、雑談の意義

ここまでくると、「雑談」が意味や目的のない会話だ、ということの意味がわかります。

明確な意味や目的を持たず、「贈与と返礼の往来」をすることで交換するモノに価値を持たせていく、ということがコミュニケーションの本質なのだとしたら、その行為の簡易版である「雑談」には、目的はないのです。

※あえて「雑談」の目的は何かと言えば、敵意が無いことを示すことでしょう。

なので、雑談をうまく行うための本には、次のようなことが書かれている事が多いのです。

・天気や趣味など、相手も自分も肯定できる話題を選ぶ
・議論するのではないので、笑顔で相づちをすればいい
・内容は二の次、三の次で、印象が大事

コミュニケーションの本質がわかればこそ、上記の内容もすーっと理解できるのではないでしょうか。こうした「贈与と返礼の往来」が、意味を持たないからこそ、しばしば「面倒」「うざったい」と解釈される背景も理解できます。

 

私は過去、雑談に「意味」を求めていました。

昔は、天気の話をして何が面白いのか?そのようにも思っていました。

ですが雑談とは、「言葉」という現代の人類には価値あるモノを、隣人と交換することによって、敵意が無いことを確認しあう、人間として本能的な行為なのだ、ということをやっと理解したように思います。

まあ、そんなところまで考えないと雑談できない、というのでは少々キツイ?かもしれませんが(笑
何にせよ、物事の本質を考えていくと腑に落ちることは多いと思います。
皆様も、日ごろ「雑談」できていますか?

 

<筆者紹介>

佐藤 創(さとう そう)。合同会社クリエイティブファースト代表。経営コンサルタント。中小企業診断士、高度情報処理技術者、キャリアコンサルタント。

「変化を求め明日を企てる事業者様の良き参謀役」として、ビジョン実現に向け経営者と伴走しながら共に汗をかく、ハンズオンでの支援を身上とする。独自のビジネスモデル分析による経営改善手法が好評。

得意な支援ジャンルは、新規事業開発・事業戦略による売上拡大、IT導入・活用による生産性向上および販路開拓、金融支援(リスケ等)を伴う経営改善・事業再生。

合同会社クリエイティブファースト
佐藤創Facebook

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